プロフィール
夢を諦めた私でも
AIを使えばクリエイターになれる?
子どもの頃の夢を覚えていますか?
私の子どもの頃の夢は
「ロボットと友達になる」ことでした。
でも大人になるにつれ
夢のことはすっかり忘れ
諦め癖がつき、挫折を繰り返し
「自分は才能がないから仕方ない」
と言い訳をし続け
妊娠、出産、退職をして
フリーランスとして在宅ワークをしながら
低単価の仕事で苦しみ、目の前の仕事をこなすことに必死になり
気がついたら30代後半になっていました。
そんな中、2024年
生成AIとの出会いに衝撃を受け
「挫折ばかりしていたAI知識ゼロの30代後半」の私が
「AIクリエイターとして月20万円を稼いでいく過程」
を残そうと思い、このブログを立ち上げました。
さて、
なぜ人生を諦めかけていた私が「AIクリエイター」を目指そうと思うことになったのか?
それを説明するためにも
私の36年分の人生をサクッと振り返ってみたいと思います。
10分程度で読み終わりますのでしばしお付き合いください。
子ども時代-クリエイターへの憧れ-
ロボット大好きな幼少期
子どもの頃の私はドラえもんや鉄腕アトムのような
友達になれるタイプのロボットが大好きでした。
未来の世界では
ロボットと友達になれる
不思議な力で夢を叶えてくれる
そんな魔法のような時間が訪れるのを、心待ちにしていました。
ロボット好きな子どもだった私は
科学者への憧れだったのでしょうか…
いろいろな物を分解することにハマっていました。
おもちゃ、時計、ストップウォッチ、リモコン・・・
ドライバー片手にネジがあるものは
なんでも分解しては、周囲の大人たちを困らせている。
そんなちょっぴり風変わりな子供でした。
パソコンとの出会い
子どもの頃から
私の一番の理解者は母でした。
家中のストップウォッチを壊しても見て見ぬふりををしてくれたり
夏休みにラジオ作りのワークショップに連れて行ってくれたり
一緒にドラえもんの映画を観てくれたりと
私のロボット好きを温かく見守ってくれました。
そんな母は
「これからはパソコンの時代がくる!」
といって
まだWindows95がやっと発売されたような時代に
知り合いから中古のMacを譲ってもらってきました。
ただ…当時の私は小学校低学年。
「使ってもいいよ」と言われたパソコンを前に
どうすれば良いかわからず…
とりあえずテレビで見たことのある
「カタカタ何かをすごいスピードで打ち込んでいる人」
になるべく
パソコン=タイピングする道具
だと思い何年も過ごしていました。
そんな私は数年後に
パソコンを使いこなす同世代のクリエイターたちとの出会いに衝撃を受けることになるのでした…
小さなクリエイターの卵たちとの出会い
「AIクリエイターになりたい」と思う私の原点。
それは
パソコンを駆使してクリエイティブな活動をしている
友人たちとの出会いでした。
最初の衝撃は小学校5年生。
パソコンで作曲をする友人との出会いでした。
令和の時代となっては
「小学生がパソコンを使って作曲する」
というのはクラスに何人もいるような
ごくごく当たり前なことかもしれませんが
平成初期の1997年当時は
そんな人は私の周りには
その友人1人しかいませんでした。
初めてパソコンから流れてくる
電子音の音楽を聞かせてもらった時は
雷に打たれたような衝撃があり
タイピングしかすることができなかった私にとって
「え?パソコンで音楽が作れるんだ!?」
という衝撃は今でも鮮明に胸に刻まれています。
きっとこの衝撃を忘れることができなくて
いまだにクリエイターに憧れ続けているのだと思います。
それと同時に
「私にはそういう才能はないからなぁ」
と言い訳をして
挑戦することから逃げてしまったことも覚えています。
次の出会いは中学生の時。
私が通っていた中学校では
文化祭で団体ごとにCMを作ってCM大賞を決めるという
イベントがあり
テレビのCMを真似て
台本を作って
カメラで撮影し
パソコンルームで編集をするという経験は
まったくの未知の世界でワクワクしました。
でも、結局はパソコンが得意という友人の横で
・動画編集
・BGM作成
と手際よく動画を作り上げていく姿を
ただ見ているしかありませんでした。
「すごいなー」「かっこいいなー」という思いはありつつ
ただ憧れているだけで
やっぱり「私には無理だ」とどこか諦めに近い感覚もありました。
挫折を繰り返す10代後半〜30代前半
(挫折1回目)受験失敗-理系から文系へ-
相変わらずロボットやAIが好きだった私は
志望校を選ぶ時に理系の大学を選択しました。
ですが、致命的だったのが「物理」が苦手だったということ。
私が好きなロボットは学問で言うと「ロボット工学」
ジャンルは「物理」でした。
どうしても苦手な物理を克服することができず
案の定、受験は失敗。
結局、受験が終わってみたら進学先は文系大学でした。
とは言うものの大学生活は楽しく
4年間充実した時間を過ごすことはできましたが
「ロボット」はかなり遠く離れた空想の存在になっていきました。
そんな中、受験から解放された私は
ずっと貯めていたお年玉でMyパソコンを購入。
自分のパソコンを手に入れたことが嬉しくて嬉しくて
家に帰るとまずパソコンの電源をつけて
キーボードを繋げたり、マイクを繋げたり、ペンタブを繋げたり
憧れていたクリエイターの真似事をして
趣味として楽しんでいました。
そんな私にとってラッキーだったのは
文系大学に進んだ結果、私の周りには
Myパソコンを持っている人が1人もいなかったことです。
そのおかげで私は周りから
「すごくパソコンが得意な人」
と思ってもらうことができ
・資料のデータ化
・ゼミの発表資料作成
・動画編集
など教授からも友人からも
パソコン関係のお手伝いを依頼されることが増えてきました。
パソコンが使えると人の役に立てるんだ!
という実感が
これから数年後に私が在宅ワークで
フリーランスになるという選択を後押ししてくれたのだと思います。
(挫折2回目)仕事中心の生活から無職に
新卒で就職した会社では
年間30回以上の全国出張がある部門に所属し
毎日ひたすら忙しく過ごしていました。
終電まで仕事し、土日出勤ばかりだった私にとって
唯一の楽しみがYouTubeとマンガとアニメ。
社会人の私は自分の夢がなんだったかなんて
すっかり忘れてしまい
仕事の愚痴を言い、上司の悪口を言い
「自分には才能がないから」と言い訳をし
「もう20代だし、夢なんて見てないで普通に平凡に生きよう」
そんなことを毎日のように思っている自分が嫌いでした。
そんな生活を5年ほど続け
27歳の時、妊娠をきっかけに仕事を退職。
つわりや貧血など体調不良のトラブルが続き
妊娠初期から1日中布団の上で過ごす日々がはじまりました。
それまで仕事中心の生活だったので
無職で日常生活もまとめに送れない
自分がすごく無価値な存在のように感じてしまい
「自分の存在価値なんてない」ぐらい気持ちが追い込まれてしまいました。
でも
お腹に子供もいる状態で
この精神状態では「流石にまずい」と感じた私は
学生時代に購入したパソコンを起動し
「タイピングはできるから記事も書けるだろう!」
ぐらいの軽い気持ちでクラウドソーシングで記事制作の案件に
応募してみました。
結果、
制作時間は10時間以上。
当時、報酬は1記事で695円。
時給にすると約70円。
かなり考えが甘かったことを思い知ったのですが
当時の私はそれでも
パソコンを使って0から稼ぐことができた経験が
ものすごく嬉しかったのです。
ただ、周りからの反応は冷ややかなものでした。
「やっぱり稼げないと仕事として認めてもらえないんだ」と感じたのもこの時でした。
その後、出産。
生まれた子どもの顔をみたら
家にほとんどいられなかった社会人時代に戻ることは全く考えられず
全く稼げる状態じゃないにも関わらず
「この子が小学生になるまでに家で働いて稼げるママになろう!」
と思い、スキル0のままフリーランスになることを決めました。
この頃から少しずつ
「諦めて逃げてばかりの自分から変わりたい」という思いが少しずつ芽生え始めたような気がします。
(挫折3回目)失敗続きの低価格フリーランス
とはいうものの
全く知識もスキルもない私が使える武器は「ゼロ」
才能がないのはもうわかっていたので
もう「根性」だけで
戦うしかありませんでした。
ブログでアフィリエイトが稼げると聞けば
ブログを立ち上げては潰し
WEBデザインで稼げると聞けば
無料でもいいからと
インフルエンサーのサムネイルやアイキャッチを作り
その結果
「あれ?仕事はしているはずなのに全く稼げていない」
という低単価のループに苦しみ続けました。
同じフリーランス仲間から
「その働き方だと5万稼げればいい方じゃない?」
と言われたこともとてもショックでした。
そんな中
運良く経営者さんとの繋がりができ
仕事を徐々に回していただけるようになりました。
そして、デザイン関係のお仕事をいただくことが多くなってきたので
ずっと憧れていた「クリエイター」という肩書きを名乗り始めました。
ですが、周りのクリエイターの人たちと比べると
・未経験
・独学
・センスなし
の自分に自信が持てず
いつも「クリエイター?です?」みたいな
伝え方をしていました。
結局はマインド面で「覚悟」が足りなかっただけ。
それに、気がついていたけど、認めたくなくて
見て見ぬふりしていたことに気がつくのはもう少し後になってからでした。
(挫折4回目)突然のプロジェクト終了-仕事がゼロに-
そして、2023年3月
大きな目標のタイムリミットとして掲げていた子どもの小学校入学。
その直前に、大きな挫折がやってきました。
全ての関わってきたプロジェクトが終了し
突然仕事が0になってしまったのです。
子どもが生まれてから細々とでも
ひたすら走り続けてきたこの数年はなんだったのか?
時間を無駄にしてしまったのでは?
やっぱり才能がないからダメだったんだ…と
落ち込みに落ち込みました。
でも、思ったのです。
本当に頑張っていた?
ずっと受け身だったのでは?
人生のターニングポイント-リモラボと生成AI-
そんなどん底状態だった私が出会ったのが「リモラボ」でした。
(リモラボとはSNS運用やマーケティングを学ぶことができる女性限定のオンラインスクールです。)
全てのプロジェクトが終わる前から
仕事の方向性に悩み始めていた私は
数ヶ月前から新しいスキルを身につけるべきではないかと
リサーチをしていました。
でも、どのスクールも胡散臭く見えてしまって
お金をかけてオンラインスクールに参加する気持ちには到底慣れませんでした。
ところが実際に仕事が0になってみて
「再就職するか?」
「もう一度フリーランスとして立て直すか?」
の2択を迫られた時
「諦めたくない」
という気持ちが湧いてきて
「挫折して逃げる自分はもうやめよう」
と思いリモラボの門を叩いたのです。
そこで
人生が変わるほどの経験をし(この話をすると長くなりすぎるので、詳しくは別記事で書きます!)
フリーランスとして土台を築くことができました。
そんな時、ふと世の中で
AI関連の話が盛り上がっていることに気がついたのです。
昔からロボットが好きだった私は
「え?AIと友達になれる時代がついにきてるの!?」
と勝手に嬉しくなり
YouTubeの解説動画をたくさん見始め
ChatGPTを契約し
画像生成を仕事の息抜きとして楽しみ始めました。
自分の思い通りの画像が生成できたり
音楽を作ることができたり
動画を作ることができる
という夢のような世界の魅力にすっかりハマり
趣味として楽しんでいました。
そんなある日
知り合いの経営者さんと話していたら
「これを仕事にできたらいいよね!」と言われ
「あれ?生成AIって仕事になるのかな?」
と思うようになりました。
夢を叶えている人
夢を追っている人は
とてもキラキラしています。
私もそんな世界にチャレンジしたいな
私も「なりたかった自分になれるかも?」
という思いがどこからか不思議と湧いてきました。
そして2024年3月。
「だったら、挑戦してみるしかないんじゃない?」
とワクワクした気持ちでこのブログを立ち上げて
夢に向かって挑戦してみることにしました!
最後に
「AIを使ったクリエイターってどんなことができるのかな?」と考えた時に
画像生成はもちろん
AIで動画も作ってみたいし
絵本や漫画も作ってみたいです!
今はすごくワクワクしています。
でも、フリーランスになった時のように
稼ぐことができなくて
「低価格の案件を受けて、周りから否定的な意見を言われた」ことや
「その程度しか稼げないよね」
と言われるような状態では
きっと私は「AIクリエイターです」と名乗ることができません。
だからこそ
しっかりAIクリエイターとして稼げる姿を見せることも
このブログの大きなテーマだと考えています。
AIは誰でも使える魔法です。
ぜひ、私と一緒にAIと友達になれる世界に飛び込んでみませんか?